プロフィール
堀内詔子(ほりうち・のりこ)
元東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣
元ワクチン接種推進担当大臣
選挙区: | 衆議院山梨2区 |
誕生日: | 1965年(昭和40年)10月28日 |
血液型: | A型 |
本 籍: | 山梨県笛吹市御坂町 |
現住所: | 山梨県富士吉田市新西原 |
資 格: | 教員免許(高校2級、中学1級外国語)、学芸員、宅地建物取引主任者、狩猟免許 |
特技趣味: | テニス、読書、書道 |
家 族: | 夫、2児(長男:会社員、次男:会社員) |
愛読書: | ジャンジャック・ルソー。エミール、レブリー(孤独な散歩者の夢想) |
好きな食べ物: | なんでも好き。人生の最後に食べたいものはペヤング |
好きな花: | スイートアリッサム |
苦手なこと: | じーっとしていること |
略 歴
昭和40年10月28日 | 誕生 |
昭和63年3月 | 学習院大学文学部 卒業 |
昭和63年3月 | 結婚 |
平成2年3月 | 学習院大学大学院人文科学研究科 博士前期課程修了 (文学修士) |
平成4年1月 | 長男誕生! |
平成6年3月 | 学習院大学大学院人文科学研究科 フランス文学専攻博士後期課程単位取得満期退学 |
平成9年12月 | 次男誕生! |
平成18年4月 | 「フジヤマミュージアム」館長 (平成28年8月5日辞任) |
平成24年11月 | 自民党山梨県第二選挙区 支部長 (現職) |
平成24年12月 | 第46回衆議院選挙 初当選 |
平成26年12月 | 第47回衆議院選挙 当選(2期目) |
平成28年8月 | 厚生労働大臣 政務官 |
平成29年10月 | 学校法人健康科学大学 特任教授 |
平成29年10月 | 第48回衆議院選挙当選(3期目) |
令和2年9月 | 環境副大臣 兼 内閣府副大臣 |
令和3年10月 | 東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣 ワクチン接種推進担当大臣 |
令和3年10月 | 第49回衆議院選挙当選(4期目) |
令和3年11月 | 第二次岸田内閣 東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣及びワクチン接種推進担当大臣(令和4年3月31日退任) |
令和4年8月 | 自由民主党 副幹事長 |
令和5年10月 | 自由民主党 女性活躍推進特別委員会 委員長(現職) |
令和6年1月 | 自由民主党 環境・温暖化対策調査会 幹事長 |
〜議員として〜
年月 | 経歴 |
---|---|
2012(平成24) 年11月 | 自由民主党 山梨県 第二選挙区 支部長 (現職) |
2012(平成24) 年12月 | 第46回 衆議院選挙 初当選 |
2013(平成25) 年1月 | 衆議院 厚生労働委員会 委員 |
2013(平成25) 年 1月 | 衆議院 青少年問題に関する 特別委員会 委員 |
2013(平成25) 年1月 | 衆議院 消費者問題に関する 特別委員会 委員 |
2013(平成25) 年 1月 | 自由民主党 国会対策委員会 委員 |
2013(平成25) 年1月 | 自自由民主党 女性局 次長 |
2013(平成25) 年1月 | 自由民主党 雇用問題調査会 幹事 |
2013(平成25) 年2月 | ユニバーサル社会推進議員連盟 特別推進委員 |
2013(平成25) 年 3月 | 受動喫煙防止 議員連盟 事務局 |
2013(平成25) 年 5月 | 自由民主党 超伝導リニア鉄道に関する特別委員会事務局 次長 |
2013(平成25) 年11月 | テレワーク推進特命委員会 事務局幹事 |
2013(平成25) 年11月 | 自由民主党 日本経済再生本部 女性力拡大グループ 幹事 |
2013(平成25) 年12月 | 自由民主党 中央自動車道渋滞対策推進議員連盟 幹事 |
2014(平成26) 年3月 | 美しい富士山を創り守る議員の会 (通称:富士山議連) 事務局長(現職) |
2014(平成26) 年 3月 | 自由民主党 総合交通政策に関する特命委員会 幹事 |
2014(平成26) 年 9月 | 自由民主党 厚生労働部会 副部会長 |
2014(平成26) 年10月 | 自由民主党 組織運動本部団体総局 労働関係団体委員会 副委員長 |
2014(平成26) 年10月 | 自由民主党 政務調査会 観光立国調査会 幹事 |
2014(平成26) 年10月 | 自由民主党 政務調査会 国際保健医療戦略特命委員会 幹事 |
年月 | 経歴 |
---|---|
2014(平成26) 年12月 | 第47回 衆議院選挙 当選(2期目) |
2015(平成27) 年1月 | 衆議院 消費者問題に関する 特別委員会 理事 |
2015(平成27) 年3月 | 火山噴火予知・対策推進 議員連盟 事務局 次長 |
2015(平成27) 年 4月 | 自由民主党 政務調査会 「成年年齢に関する 特命委員会」 幹事 |
2015(平成27) 年8月 | テレワーク推進 特命委員会 事務局次長 |
2015(平成27) 年10月 | 自由民主党 政務調査会 内閣部会 部会長 代理 |
2015(平成27) 年10月 | 自由民主党 山梨県 支部連合会 女性局 局長(現職) |
2015(平成27) 年11月 | 自由民主党 組織運動本部 生活安全関係団体 委員長 |
2015(平成27) 年 11月 | 自由民主党 広報戦略局 次長 |
2015(平成27) 年11月 | 自由民主党 行政課企画 推進本部 幹事 |
2015(平成27) 年12月 | 自由民主党 女性活躍推進本部 事務局 次長 |
2016(平成28) 年1月 | 自民党 司法制度調査会 幹事 |
2016(平成28) 年1月 | 自由民主党 雇用問題調査会 同一労働 同一賃金問題 検証PT 幹事 |
2016(平成28) 年2月 | 自由民主党 女性の健康の包括的支援 に関する PT 事務局長 代理 |
2016(平成28) 年8月 | 厚生労働大臣 政務官(~H29.8) |
2017(平成29) 年8月 | 自由民主党 国際局 次長(現職) |
2017(平成29) 年9月 | 自由民主党 厚生労働部会 副部会長 |
2017(平成29) 年9月 | 自由民主党 財務金融部会 副部会長 |
2017(平成29) 年9月 | 自由民主党 雇用問題調査会 幹事 |
2017(平成29) 年9月 | 自由民主党 女性局 次長 |
2017(平成29) 年9月 | 自由民主党 厚生労働部会 死因究明に関するPT 幹事 |
2017(平成29) 年9月 | 自由民主党 文化立国調査会 伝統文化調査会 幹事 |
2017(平成29) 年9月 | 自由民主党 新聞出版局 次長 |
2017(平成29) 年9月 | 自由民主党 労働関係団体委員会 副委員長 |
2017(平成29) 年10月 | 自由民主党 宇宙・海洋開発特別委員会 幹事 |
2017(平成29) 年10月 | 学校法人 健康科学大学 特任教授(現職) |
年月 | 経歴 |
---|---|
2017(平成29) 年10月 | 第48回衆議院選挙 当選(3期目) |
2017(平成29) 年11月 | 衆議院 東日本大震災 復興特別委員会委員 |
2017(平成29) 年11月 | 衆議院 厚生労働委員会 理事 |
2017(平成29) 年12月 | 自由民主党 超電導 リニア鉄道に関する 特別委員会 事務局長代理 |
2018(平成30) 年10月 | 衆議院 消費者問題特別委員会委員 |
2018(平成30) 年10月 | 自由民主党 総務 |
2018(平成30) 年10月 | 自由民主党 環境部会 副部会長 |
2018(平成30) 年10月 | 自由民主党 組織運動本部 厚生関係団体委員会 委員長 |
2018(平成30) 年11月 | 衆議院 予算委員会 理事 |
2018(平成30) 年11月 | 衆議院 環境委員会 理事 |
2019(令和元) 年6月 | 自由民主党 女性活躍推進本部 養育費等に関するPT 座長 |
2019(令和元) 年9月 | 衆議院 厚生労働委員会 委員 |
2019(令和元) 年9月 | 衆議院 環境委員会 委員 |
2019(令和元) 年9月 | 自由民主党 女性局 局長代理 |
2019(令和元) 年9月 | 自由民主党 環境部会 部会長代理 |
2020(令和2) 年6月 | 熱中症対策推進議員連盟 事務局長(現職) |
2020(令和2) 年9月 | 環境副大臣 兼 内閣府副大臣 |
2021(令和3) 年10月 | 東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣、ワクチン接種推進担当大臣 |
年月 | 経歴 |
---|---|
2021(令和3) 年10月 | 第49回衆議院選挙 当選(4期目) |
2021(令和3) 年11月 | 第二次岸田内閣 東京オリンピック競技大会・ 東京パラリンピック 競技大会担当大臣 及びワクチン接種推進 担当大臣 |
2022(令和4) 年4月 | 衆議院 厚生労働委員会 委員 |
2022(令和4) 年4月 | 衆議院 消費者問題に関する 特別委員会 委員 |
2022(令和4) 年4月 | 自由民主党 新型コロナウイルス等感染症 対策本部 副本部長 |
2022(令和4) 年4月 | 自由民主党 新型コロナウイルス等 感染症対策本部 ・ 社会保障制度調査会 新型コロナウイルスに関する ワクチン対策PT 座長代行 |
2022(令和4) 年4月 | 自由民主党 中小企業・小規模事業者政策調査会 副会長 |
2022(令和4) 年4月 | 自由民主党 環境・温暖化対策調査会 副会長 |
2022(令和4) 年4月 | 原子力問題調査特別委員会 委員 |
2022(令和4) 年6月 | 自由民主党 環境・温暖化対策調査会 食品ロス削減 PT座長 |
2022(令和4) 年8月 | 自由民主党 副幹事長(現職) |
2022(令和4) 年10月 | 衆議院 環境常任委員会 理事(現職) |
2022(令和4) 年10月 | 衆議院 消費者問題に関する 特別委員会 理事(現職) |
2022(令和4) 年10月 | 自由民主党 中央政治大学院 副学院長(現職) |
2023(令和5) 年10月 | 自由民主党 女性活躍推進特別委員会 委員長(現職) |
2023(令和5) 年 | 自由民主党 超電導 リニア鉄道に関する 特別委員会 副幹事長(現職) |
2024(令和6) 年1月 | 自由民主党 環境・温暖化対策調査会 幹事長(現職) |
2024(令和6) 年4月 | 自由民主党 環境・温暖化対策調査会 消費者問題調査会 食品ロス削減・食品寄附促進 PT座長(現職) |
年月 | 経歴 |
---|---|
2024(令和6) 年10月 | 第50回衆議院選挙 当選(5期目) |
2024(令和6) 年11月 | 衆議院 外務委員長 |
〜子どもの頃の夢は女代議士〜
誕生〜幼稚園
当時銀行員であった父の仕事の関係で、生後3ヶ月でアメリカのニュージャージー州へ。3歳の時に日本に帰国。この時の記憶はほとんどありません。
姉、自分、妹(アメリカ生まれ)、弟の4人姉弟。姉弟仲が良く、みんな男勝りで、忍者ごっこをしたり、泥団子を作ったりして遊んでいました。
母親にはよく若草物語を読み聞かせてもらったのが印象に残っています。若草物語の上から2番目の女の子のジョーに自分を重ねていました。
小学校時代
父方の祖父(小林中)の家が笛吹市石和町にあり、父に連れられてよく遊びに行きました。今では小林公園という公園になっている場所です。
仕事と家庭を両立する母や祖母は、「仕事場において女は対等な立場とみなされない」とよく言っていたのを覚えています。当時は今と比べて、男性は社会に出て仕事を、女性は家を守るといった風潮が強く、父も家事を分担するようなことはありませんでした。
小学校の卒業文集に夢は代議士と書いていました。今、読み返すと夢の理由は母や祖母の影響を強く受けたものだなと思います。女の人の方が威張れるようにというのは、やはり子供だなと思います。女性もしっかりと社会の中で役割を果たせるようにしていきたいという思いです。
母は大学の英語学の教授、父も仕事をしていたので、家にあまりいませんでした。ちなみに父方の祖母は家庭人でしたが、母方は祖父が大学の教育学の教授、祖母が社会心理学の教授をしながら幼稚園を創設し、園長をしていました。いつも姉弟で助け合い、遊んでいました。
母の教育は、子ども間に上下関係・優劣をつけないというものでした。だから、私たちはお互いを名前で呼び合い、姉、妹、弟と呼び合うことはありませんでした。母は親だからと偉ぶるのではなく、一人の人間として尊重し、対等に接してくれました。
中学校時代
中学時代はテニスに捧げた3年間でした。
部員は100名以上の大所帯のテニス部をキャプテンとしてまとめ上げ、結果は都中学選手権にて団体戦で優勝。関東大会では上位入賞を果たしました。
友達と太陽の下で汗を流すことに一生懸命でした。本当にがむしゃらにやっていました。そうしたら結果がついてきました。
高校時代
1年生の1学期はテニス部に入らず、大学受験を意識して勉強を頑張りました。
しかしどうしてもテニスが忘れられず、テニス部に入部を決意。途中入部は気まずいものでしたが、中学時代を共に戦ったテニス部の仲間のおかげでスムーズに入ることができました。
部員数は40人くらい。やはり高校の部活は、中学時代よりも厳しいため、人数は減ってしまいました。
どうしても朝練がしたかったので、門衛さんがくる前に学校に入る方法、例えば門を乗り越える方法を考えたり、早弁をしてテニスの練習をしたりしていました。
大学時代
大学生になっていろいろなことをしたいと思い、体育会ではなく、練習が大変ではない同好会に入りましたが、結局毎日テニスをしていました。
テニスの練習場は練馬の関越自動車道の傍らにあり、4年間通いました。ちょうど「ファミレス」が流行り始めた頃で、テニス帰りにはファミレスに寄ってみんなでご飯を食べるのが恒例でした。
卒業後は大学院に行きたかったので、真面目に勉強をしました。母は英語学、姉はドイツ語を大学で学んでいたので、私はフランス語にしようと思いました。
教員免許を取得。教育実習ではフランス語を教えていました。海外帰国子女も多くて、自分よりも発音が良い子もいてすごくタジタジとなってしまったのを覚えています。
大学卒業〜立候補まで
大学卒業と同時に在学中にお見合いをした主人と結婚。
結婚後に大学院に進学。
結婚後は2人の子どもを産み、育てました。
平成2年の衆院選では義父である堀内光雄(元通産大臣)選挙活動を一生懸命手伝いました。絶対大丈夫と言われた選挙でしたが落選、非常に悔しかったのを覚えています。
平成24年、義父が引退することになり、後継者はなかなか決まりませんでしたが、私が地元で父の選挙応援をしていたときの様子がたまたま新聞記事にとりあげられており、それを見た女性部の方々から「もう男なんかに任せてはおけない」と後継者に推薦されました。
当時、世の中で政策決定に女性が少なすぎると思っていました。子育てや社会との関わりを通じて、女性目線での政策が足りないとひしひしと感じていました。自分が国会議員となることで、国の方針決定に対する女性参加率を増加させることが絶対に必要だという思いがありました。
家族との話し合いでは、皆、「自分のやりたいようにやればいいよ。大変だと思うけれど支えていくよ」と言ってくれました。実家の父には猛反対されましたが、子どもの頃からの夢でもあり、そういったチャンスがあれば掴みたいと思っていたので、最終的には父を説得し、皆の温かい声援のもと、気合を入れて立候補を決めました。