2017年 12月 17日 日曜日

プロフィール

堀内詔子(ほりうち・のりこ)

誕生日:1965年(昭和40年)10月28日
血液型:A型
資 格:教員免許 (高校2級、中学1級外国語)、 学芸員、宅地建物取引主任者
趣 味:料理(得意料理、筑前煮。最近は主人の大好きなミューズリーを手作り)と硬式テニス
愛読書:ジャンジャック・ルソー。エミール、レブリー(孤独な散歩者の夢想)
好きな食べ物:なんでも好き。人生の最後に食べたいものはペヤング
好きな花:スイートアリッサム
苦手なこと:じーっとしていること
得意なこと:精神統一

略 歴

昭和60年10月28日誕生
昭和63年3月学習院大学文学部 卒業
昭和63年3月結婚
平成2年3月学習院大学大学院人文科学研究科 博士前期課程修了 (文学修士)
平成4年1月長男誕生!
平成5年3月学習院大学大学院人文科学研究科 博士後期課程単位取得満期退学
平成9年12月次男誕生!
平成18年4月「フジヤマミュージアム」館長 (平成28年8月5日辞任)
平成24年11月自民党山梨県第二選挙区 支部長 (現職)
平成24年12月第46回衆議院選挙 初当選
平成26年12月第47回衆議院選挙 当選(2期目)
平成28年8月厚生労働大臣 政務官
平成29年10月学校法人健康科学大学 特任教授
平成29年10月第48回衆議院選挙当選(3期目)

〜議員として〜

2012年(平成24年)11月 自民党山梨県第二選挙区 支部長 (現職)
2012年(平成24年)12月 第46回衆議院選挙 初当選
2013年(平成25年)1月 衆議院厚生労働委員会 委員
2013年(平成25年)1月 衆議院青少年問題に関する特別委員会 委員(~平成26年6月)
2013年(平成25年)1月 衆議院消費者問題に関する特別委員会 委員
2013年(平成25年)1月 自民党国会対策委員会 委員
2013年(平成25年)1月 自民党女性局 次長
2013年(平成25年)1月 自民党雇用問題調査会 幹事
2013年(平成25年)2月 ユニバーサル社会推進議員連盟 特別推進委員
2013年(平成25年)3月 受動喫煙防止議員連盟 事務局
2013年(平成25年)5月 自民党超伝導リニア鉄道に関する特別委員会事務局 次長
2013年(平成25年)11月 テレワーク推進特命委員会事務局 幹事
2013年(平成25年)11月 自由民主党日本経済再生本部 「女性力拡大グループ」幹事
2013年(平成25年)12月 自由民主党中央自動車道渋滞対策推進議員連盟 幹事
2014年(平成26年)3月 美しい富士山を創り守る議員の会(通称:富士山議連)事務局長
2014年(平成26年)3月 自由民主党総合交通政策に関する特命委員会 幹事
2014年(平成26年)9月 自由民主党厚生労働部会 副部会長
2014年(平成26年)10月 自由民主党組織運動本部団体総局労働関係団体委員会 副委員長
2014年(平成26年)10月 自由民主党政務調査会「観光立国調査会」幹事
2014年(平成26年)10月 自由民主党政務調査会「国際保健医療戦略特命委員会」幹事
2014年(平成26年)12月 第47回衆議院選挙 当選(2期目)
2015年(平成27年)1月 衆議院厚生労働委員会 委員
2015年(平成27年)1月 衆議院消費者問題に関する特別委員会 理事
2015年(平成27年)1月 東日本大震災復興対策特別委員会 委員
2015年(平成27年)3月 火山噴火予知・対策推進議員連盟事務局 次長
2015年(平成27年)4月 自由民主党政務調査会「成年年齢に関する特命委員会」幹事
2015年(平成27年)8月 テレワーク推進特命委員会事務局 次長
2015年(平成27年)10月 自由民主党政務調査会内閣部会 部会長代理
2015年(平成27年)11月 自由民主党組織運動本部 生活安全関係団体委員長
2015年(平成27年)11月 自由民主党広報戦略局 次長
2015年(平成27年)11月 自由民主党行政課企画推進本部 幹事
2015年(平成27年)12月 自由民主党女性活躍推進本部事務局 次長
2016年(平成28年)8月 厚生労働大臣 政務官
2017年(平成29年)8月 自由民主党厚生労働部会 副部会長
2017年(平成29年)8月 自由民主党財務金融部会 副部会長
2017年(平成29年)8月 自由民主党国際局 次長
2017年(平成29年)10 第48回衆議院選挙当選(3期目)
2017年(平成29年)08月 自由民主党国際局 次長
2017年(平成29年)09月 自由民主党厚生労働部会 副部会長
2017年(平成29年)09月 自由民主党財務金融部会 副部会長
2017年(平成29年)09月 自由民主党雇用問題調査会 幹事
2017年(平成29年)10月 自由民主党宇宙・海洋開発特別委員会 幹事
2017年(平成29年)09月 自由民主党女性局 次長
2017年(平成29年)09月 自由民主党厚生労働部会 死因究明に関するPT 幹事
2017年(平成29年)09月 自由民主党文化立国調査会 幹事
2017年(平成29年)09月 自由民主党文化立国調査会 伝統文化調査会 幹事
2017年(平成29年)09月 自由民主党新聞出版局 次長
2017年(平成29年)09月 自由民主党労働関係団体委員会 副委員長
2017年(平成29年)11月 消費者対策に関する特別委員会 理事
2017年(平成29年)11月 東日本大震災復興特別委員会 委員
2017年(平成29年)11月 衆議院厚生労働常任委員会 理事

〜子どもの頃の夢は女代議士〜

誕生〜幼稚園

当時銀行員であった父の仕事の関係で生後3ヶ月でアメリカ(ニュージャージー州)へ。3歳の時に日本に帰国。この時の記憶はほとんどありません。

姉、自分、妹(アメリカ生まれ)、弟の4人兄妹。 兄妹仲がよく、みんな男勝りで、忍者ごっこをしたり、泥団子を作ったりして遊んでいました。

母親にはよく若草物語を読み聞かせてもらったのが印象に残っています。若草物語の上から2番目の女の子のジョーに自分を重ねていました。

小学校時代

小学校に行くのが好きでした。好きな教科は国語、社会。委員会は図書委員をやっていました。

祖母は幼稚園を運営していて、母は大学の先生で、父も仕事をしていたので、家にあまりいませんでした。そのため、日々の生活では妹・弟の世話を姉と行うことが多く、自然と兄妹で遊んでいたので、兄妹仲が良いかもしれません。

母の教育は、子供間に上下関係・優劣をつけないというものでした。だから、私たちはお互いを名前で呼び合い、お姉ちゃんと呼ぶことはありませんでした。母は親だからと偉ぶるのではなく、一人の人間として尊重し、対等に接してくれました。

兄弟がいっぱいいたし、従兄弟たちとも仲よかったので寂しくありませんでした。

ゲームといえば人生ゲーム等のテーブルゲームやカードゲームといった、みんなとできるものを好んでやりました。

初等科の友達はみんな遠距離通学だったので、学校終わりに友達と遊ぶといったことはあまりなく、すぐに帰らなければなりませんでした。みんな40分くらいかけて電車で通学していました。

 

祖父(小林中)の家が笛吹市石和町にあり、父に連れられてよく遊びに行きました。今では小林公園という公園になっている場所です。

仕事と家庭を両立する母や祖母は、女って不利よねってよく言っていたのを覚えています。当時は今と比べて、男性は仕事をしてお金を稼ぎ、女性は家を守るといった風潮が強く、父もあまり家のことをすることは無かったと思います。

小学校の卒業文集に夢は代議士と書いていました。今、読み返すと夢の理由は母や祖母の影響を強く受けたものだなと思います。女の人の方が威張れるようにというのは、やはり子供だなと思います。女性もしっかりと社会の中で役割を果たせるようにしていきたいという思いです。

中学校時代

中学時代はテニスに捧げた3年間でした。

部員は100名以上の大所帯のテニス部をキャプテンとしてまとめ上げ、結果は都中学選手権にて団体戦で優勝。関東大会では上位入賞。

友達と太陽の下で汗を流すことに一生懸命でした。本当にガムシャらにやっていました。そうしたら結果がついてきました。

高校時代

1年生の1学期はテニス部に入らず、大学受験を意識して勉強を頑張りました。

しかしどうしてもテニスが忘れられず、テニス部に入部を決意。途中入部は気まずいものでしたが、中学時代を共に戦ったテニス部の仲間のおかげでスムーズに入ることができました。

部員数は40人くらい。やはり高校の部活は、中学時代よりも厳しいため、人数は減ってしまいました。

どうしてもテニスの朝練がしたかったので、門衛さんがくる前に学校に入りたくて門を乗り越える方法を考えたり、早弁をしてテニスの練習をしたりしていました。

姉は生徒会をやり、私はテニスを頑張り、妹は水泳部で頑張っていて、みんな忙しくなって遊ぶことは減ってしまったが、お互いに繋がっている感じがはいつもありました。

大学時代

テニスの体育会には入らずに、テニス同好会に入会。大学生になって色々なことがやりたいなと思って、練習が大変ではない同好会に入ったが、結局毎日テニスをしていました。

テニスの練習場は練馬の関越テニスクラブに4年間通いました。ちょうど「ファミレス」が流行り始めた頃で、テニス帰りにはファミレスに寄ってみんなでご飯を食べるのが恒例でした。

大学に入って初めてアルバイトをしました。オートテニス場の受付係でした。

門限はありませんでしたが、10時くらいには家に帰っていました。次の日も朝からちゃんと授業にでなければならなかったので。

在学中の20歳の時に主人とお見合い。それまで男性と付き合ったことはなかった。ファーストインプレッションでは真面目そうな方だなという印象でした。

卒業後は大学院に行きたかったので、真面目に勉強をしました。母(英語学)、祖母、姉(ドイツ語)は大学の先生だったので、では私はフランス語にしようと思いました。

ルソーの思想が好きで、様々な本を読みました。それも理由で、フランス文学の先生になりたかったです。

教員免許を取得。教育実習ではフランス語を教えていました。海外帰国子女も多くて、自分よりも発音が良い子もいてすごくタジタジとなってしまったのを覚えています。

 

大学卒業〜立候補まで

大学卒業と同時に在学中にお見合いをした主人と結婚。

結婚後に大学院に進学。

結婚後は2人の子供を産み、育てました。子育てで苦労したことは、2人共に喘息だったこと。医療の進歩と、医療保険に本当に助けられました。

1990年(平成2年)の衆院選では義父である堀内光雄(元通産大臣)の選挙活動を一生懸命手伝いました。子供の頃からの夢であった、政治家という仕事に初めて携わった選挙でした。絶対大丈夫と言われた選挙でしたが落選、引退が決まり、非常に悔しかったのを覚えています。

その後、後継者はなかなか決まりませんでしたが、私の選挙運動がたまたま新聞記事にとりあげられており、それを見た女性部の方々から「もう男なんかに任せてはおけない」と後継者に推薦してくださいました。

 

当時、世の中で政策決定に女性が少なすぎると思っていました。それは子育てや社会との関わりを通じて、女性目線での政策が足りないとひしひしと感じていました。自分が国会議員となることで、国の方針決定に対する女性参加率を増加させることが絶対に必要だという思いがありました。

家族との話し合いではみんな、私のやりたいようにやればいいよ。大変だと思うけれど、支えていくよと言ってくれた。実家の父には反対されていたが、子供の頃からの夢でもあり、そういったチャンスがあれば掴みたいと思っており、家族の後押しもあって立候補を決めました。

しかし自民党からの公認が最初は出ませんでした。そこで女性部の方達と、公認をもらえるよう党本部に直談判にいきました。公認がもらえないのは世襲が理由だと思っていたので、離婚して小林に戻ってでも出馬する決意でした。