【日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式について】
3月25日に日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に厚労省の代表として出席しました。硫黄島には政務で訪れたことがありますが、公務としては初めてです。

外務省からは武井政務官、防衛省からは宮澤政務官、そして硫黄島問題懇話会会長の逢沢一郎先生、そしてこの地で指揮をとり名誉の戦死をなされた栗林中将のご令孫であられる新藤義孝先生をはじめとした多数の国会議員の皆様、戦没者のご遺族の方々などを含め日本側は約130名、アメリカ側は約200名の方々がこの式典に出席しました。

かつて戦火を交えた国同士が参加し、合同で慰霊追悼を行うのは、ここ硫黄島のみです。
72年前の2月〜3月の間、ここ硫黄島で世界の戦史にも類のない、苛烈を極めた戦いがありました。
日本側は2万を超える方々が戦死され、アメリカ側は約29,000名の戦死傷者を出しました。
祖国を思い、家族を案じながら尊い犠牲を払われた英霊に対して心から哀悼の意を表します。

【ご遺骨収容について】
硫黄島における遺骨収容については、昨年3月に成立した「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」に基づき、ご遺族、硫黄島協会の皆様、小笠原村の皆様をはじめ関係者のご協力のもと、関係省庁と連携し、計画的に進めています。これまでの間に合計10,395柱(平成29年2月現在)のご遺骨を収容していますが、未だ多数のご遺骨がこの地に眠っておられます。
一柱でも多くのご遺骨を一日も早く収容できるよう、全力を尽くしてまいります。

【硫黄島巡拝について】
式典後には、硫黄島を巡拝しました。
陸軍小笠原方面兵団司令部壕、海軍硫黄島警備隊医務壕、大阪山砲台群、集団埋葬地、擂鉢山日米戦没者顕彰碑、山梨県の関係では、「独立速射砲第8大隊(※)」の碑等を慰霊巡拝しました。
地下壕の中は狭く暗く、そしてとても暑い(約50度)場所でした。こうした劣悪な環境の中、水や食事もないまま、祖国を思い持久戦を戦い抜いた御霊に対して、畏敬の念を禁じ得ません。

※甲府市東部第76大隊で編成。総員232名、戦死221名、生還11名
最後になりますが、まもなく戦後72年が経ちます。先の記憶を風化させることなく後世にしっかりと伝え、引き継ぐとともに、引き続き戦傷病者、戦没者ご遺族の方々への援護や遺骨収容等に全力を尽くしてまいります。

厚生労働省のHPにも掲載されています。
http://www.mhlw.go.jp/photo/2017/03/ph0325-01.html
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